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幕末維新 その時代の人々の生き様を追う
只見は河井継之助の終焉の地です
| 河井継之助を学ぼう |
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まずは、これを読もう 峠 司馬遼太郎
河井継之助 稲川明雄
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・河井継之助が只見に入る少し前、2万人ともいわれる長岡藩士一族が只見町を通過しています
只見町内すべての民家や牛子屋、そして軒先まで借りて雨露をしのぎ、食べ物を分けてもらったといいます。
また、親を亡くした子どもは、養子・養女として引き取られ、地元の子どもとして育てられました
・越後長岡藩に生まれ幼児より聡明にして豪胆,神童と云わました。文武に秀で陽明学を修め,水練,馬術,槍術に長じ特に砲術の研究を深め
1865年 39歳の時,郡奉行となりその非凡な才能は多くの人の注目を集めました。
その後、家老上席となり政務を担当し、継之助はこの間大いに藩政を改革し,藩財政を確立するとともに兵制を改革するなど長岡藩をして奥羽の雄藩としての基礎を作り上げた。 |
| マイカー1時間40分コース (只見駅からスタートし只見駅で終了の場合 2時間コースになります) |
歴史道
八十里越を少し車で走る |
越後と会津を結んだ「八十里越」と呼ばれる険しい峠。
八十里 腰抜け武士の越す峠継之助の詠んだ句は、あまりにも悲しい。
八里が八十里に感じることから、この名前がつけられている。
この八十里越には、今もなお、ガトリング砲と3千両が眠っているという。
※ガトリング砲(沼の中) 3千両(松の木の下 今のお金で3億円)
(地元では、今もなお探しているが人いるとかいないとか!?)
8月2日〜10日頃まで 1万5千人がこの八十里越を越えて只見に入りしている |
叶津(旧叶津番所)から国道289号に入ります。
車で7分 餅井戸沢 最後の集落まで行こう
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25分 |
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| 旧叶津番所 |
ただいまと言いたくなる心のふるさと曲がり家
会津と越後の交易路にあった番所。寛政10(1798)年築
福島県指定重要文化財である奥会津地方最大規模の古民家 曲がり家
河井継之助が立ち寄ったとされています
(一部、1晩泊まられたと記されている書もありますが・・謎)
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国道252号から国道289号への入り口にあります |
20分 |
500円
(団体
300円 |
| 旧五十嵐邸 |
本百姓の家屋で築300年 |
旧叶津番所の裏 |
10分 |
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| 車で移動 |
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7分 |
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| 河井継之助記念館 |
昭和37年継之助終焉家、矢沢家が、滝ダム建設によって湖底に沈んだ。
記念館には、終焉の間が移設され、ゆかりの品が展示されている
資料も多く残っている。 |
駐車場から歩いて3分
右側には只見川と十島/左側に只見線
只見線を渡って左
見落とされる方もいるので注意 |
30分 |
大人
300円
小・中学生
100円
(団体
80円 |
| 歩いて移動 |
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3分 |
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継之助の墓
(医王寺) |
ダビの後で拾い残された細骨を村民が集めて建てた。
官軍の目が光っていたため、文字は刻まず、型式も祠の様式にして官軍の目をごまかすという細かい配慮がはらわれた。
毎年8月16日医王寺で墓前祭が行われる |
只見線を渡って左が記念館
右が医王寺・継之助の墓 |
5分 |
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※河井継之助記念館 開館:午前10時〜午後4時 毎週木曜日休館 冬期間閉鎖 0241-82-2870
※旧叶津番所 開館:午前10時〜午後4時 毎週火曜日休館 冬期間も営業していますが電話をかけてください
0241-82-2407
※タクシーで観光
※ 河井継之助に詳しい語り部が地元におります(有料) お問い合わせ先 只見町観光まちづくり協会 0241-82-5250
無料インスタクターは、 記念館にて待機していることがあります(土・日) お問い合わせください
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| 旧叶津番所 |
旧五十嵐邸 |
河井継之助記念館 |
継之助の墓 |
※コースには載せませんでしたが、官修の墓が 小林の新福寺と布沢の龍泉寺にあります
| さらに1時間 歴史探訪コース 時代は異なりますが ぜひ成法寺へ足を運んでいただきたい map |
※ 河井継之助記念館から車で30分(只見駅から車で20分南郷方面へ)
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