只見町観光パンフレット page 11/16

只見町観光パンフレット

このページは 只見町観光パンフレット の電子ブックに掲載されている11ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
只見町観光パンフレット

雪国の知恵と心意気を受け継ぐ県重要文化財MAPD-3旧長谷部家住宅(叶津番所)江戸時代後期に建てられた長谷部家の住宅。入口で馬を飼う曲り屋で、屋根裏で養蚕をおこなっていました。会津と越後を結ぶ八十里越の番所として会津藩役人が滞在した武家造りの奥座敷があります。●火曜休館・冬期予約制入館料/大人500円・小人300円?0241(82)2407旧五十嵐家住宅MAPD-3享保3年(1718)建築の本百姓の家屋で、農家の暮らしぶりがうかがえます。●火曜定休・冬期休館入館無料国重要町教育委員会?0241(82)5320文化財塩沢に着いた継之助は、銃う説があります。の越す峠」が有名です。に、その台座が沈んでいたとい嘲の句「八十里腰抜け武士十里越の沼ノ平にある大砲池た。山中で継之助が詠んだ自(大砲)の使い手だといわれ、八ぬけて会津城下をめざしましまた継之助はガトリング砲再起を図るために八十里越をています。数百人を連れて、親藩会津で16日に墓前祭を催して供養し撃を受けた長岡藩から藩士千りました。現在も命日の8月継之助は戊辰北越戦争で攻めて塩沢の医王寺に手厚く葬涯が描かれています。骸を火葬して弔い、残灰を集公として義の精神を貫いた生塩沢の人たちは継之助の亡遼太郎の歴史小説『峠』の主人享年42歳でした。塩沢で亡くなりました。司馬(1868)年8月16日に死去。家老の河井継之助は、只見町宗益宅にて病に臥し、慶応4幕末の波乱を生きた長岡藩弾の傷が悪化して村医、矢沢河井継之助終焉の地MAPE-2河井継之助記念館継之助が亡くなった部屋を館内に移築。長岡から会津への戦況図など歴史資料を展示。併設の山塩資料館は塩沢での製塩を解説しています。●木曜休館・冬期休館入館料大人300円、小人100円?0241(82)2870