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皆様如何お過ごしですか?只観武闘派マックです。今回は…、完全なる私の趣味?のお話し。消防団の巻。始めにお詫びしておきます。かなりの長文になりますので興味のない方、心臓の弱い方はご遠慮下さい。
いろは四十八組が消防団の元祖?消防組⇒警防団⇒消防団への移行。
…時は溯り江戸時代。戦乱が治まり、徳川幕府による治世が続きました。都市の繁栄に伴い、「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど火事も頻繁に発生しました。江戸時代の火消組織は、武家火消と町火消に大別され、定火消は公設消防、町火消は義勇消防の元祖と言われます。明治になると明治維新に伴い、定火消や大名火消は廃止になりましたが、町火消は東京府に移管され、明治3年(1870年)「消防組」に改組されました。昭和14年(1939年)勅令「警防団令」により、「警防団」と名称を変え、防空監視や空襲爆撃下の救護活動の任務も担うことになりました。敗戦に伴い、昭和22年(1947年)勅令「消防団令」により、警防団という戦時体制の消防は「消防団」として再出発することになりました。我が国の消防は、明治以来、警察機構の中にありましたが、憲法が変わり、新たに「地方自治法」が施行されたのに伴い、昭和23年(1948年)「消防組織法」により、市町村長が消防の組織と運営の管理に当たることになり、名実ともに「自治体消防」に移行しました。昭和38年には、救急業務が法制化され、救急体制の整備が始まりました。また、昭和40年代以降、常備化が進められるとともに、一部事務組合方式や事務の委託方式を活用して、数か市町村単位でまとまった消防体制をとる広域化も進められました。戦後における我が国の経済復興はめざましく、消防体制も着実に整備が進み、常備消防と消防団が車の両輪となって国民の安心、安全に大きな役割を果たして来ました。
近代化が進む現在の消防団の形。
平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、戦後最大の災害となりましたが、消防にとっても大きな教訓を残しました。阪神淡路大震災では、倒壊した建物、家屋の下敷きになって多くの人々が亡くなりましたが、そのような中で、兵庫県北淡町のように消防団が地域の人達と協力して、いち早く倒壊家屋の下から生き埋めになっている人達を救い出すというケースも多く見られました。このように、大きな災害になればなるほど、地域の人達が協力して自らを守るということが大事なこと、また、こうした地域防災の中核となる消防団の役割が重要であることが、改めて再認識されることになりました。さらに、大規模災害の際には、地域の消防力だけでは対応できず、広域的な応援が必要となることも痛感させられました。このため、全国的な広域応援の仕組みとして、緊急消防援助隊が創設されました。緊急消防援助隊は、その後順次整備が進むとともに、平成16年には消防組織法が改正され、緊急援助隊が法律に明確に位置づけられるとともに、消防庁長官が緊急援助隊の出動のため必要な措置を指示することが出来ることとされました。平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、広範囲にわたり地震、大津波、さらには原子力発電事故まで加わった未曾有の巨大災害となりました。このような災害の中、消防職団員は、水門閉鎖、避難誘導、救助、消火、捜索、被災住民支援等広範な活動を長期間にわたり実施し、その活動は、地域住民から高く評価されましたが、一方で、消防団活動をはじめとする地域の防災について、あらためて多くの課題が明らかになりました。平成25年12月 東日本大震災の教訓を生かしつつ、今後の発生が懸念されるあらゆる災害・事故に対処し得る消防防災体制の整備をめざし、とりわけ消防団を地域防災力の中核として位置づけ、住民、各種団体が協力連携し、国・地方公共団体が必要な責務を果たすことを定めた日本消防史においてきわめて画期的な法律「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律」が議員立法により全会一致で成立し、消防団の一層の充実強化が図られることとなりました。 現在、東海地震をはじめ東南海、南海地震や首都直下地震の発生などが懸念されるなかで、国民の安全を守ることはますます大きな課題になっています。地域防災の中核である消防団に対する期待は一層高まっています。
つまり…、何が言いたいかと言うと?
冒頭からこ難しい事を並べましたが単純に「自分の市町村は自分で守る」精神が必要なのかな?と考えます。近年少子高齢化が進み団員の減少が問題に上がりますが、逆に只見町では消防団員、女性消防団員共に毎年入団する程活性化が進み他の市町村から「どんな方法で勧誘してるの?」「どうやって団員の退団を食い止めてるの?」等質問頂く事もありますが何も特別な事はしておりません。「団員に無理はさせない。」これに尽きる。あとは…、まずはLikeに。そしてLoveにしてあげるだけwww
ちなみにLoveになると上記の写真の様になります。訓練で夏は山に登り冬も山に登るw写真はないが人の生命、財産を守る為の手段として積極的に講習や資格を取る様になります。(半分以上は私の趣味です)
もちろん地域貢献も忘れてはいけない。私の分団は小学校の授業の一環で消防団の活動内容や実際の事例、放水訓練などを小学生に教えてたり小中高校の避難訓練へ参加したりして子供たちが消防に興味を持ってもらえる様にしたり、地域の奉仕活動にも積極的に参加し住民の方との絆も大事にしています。
結びとして
消防団って実は市町村における非常勤の特別職地方公務員である。ただし給料などはない。あくまでボランティアなので報酬と言う形で対価が支払われる。人によっては「バカらしいからやってられない」とか「忙しいから…」など色々な意見を聞きますがそれは最初に言った通り「ふるさとは自分の手で守る」この精神が足りない方か自分の身すら守れない方。消防団は良く言えば地域貢献や名誉の為に、悪く言ってしまえば行事ごとに酒呑み集団と化す(私の班だけかな…?)だがいざとなったら即座に動けて頼れる存在。そんな男に私はなりたい。
全国約86万人の消防団員の方々へ かしら~なか!
只見町消防団 訓練副分団長 角田 誠